写真は、モントリオール移住メモの方にもちらっと書いたけど、毎日見慣れた、学校近くの教会。すぐ隣に芝生の庭があって、木陰があって、夏にはそこを「リビングルーム」と呼んで昼休みに寛いでいた。イギリス時代に1年ほどシティにある大手日系商社で働いていたことがあったが、毎日かの有名なセントポール寺院の裏庭で、一人ぼっちでサンドイッチの昼食を食べていた27歳の自分を懐かしく思い出す。
ごくおとなしくて、まじめな感じの静かな女の子だった私は、なかなか部内のプライド高い女性グループの雰囲気に溶け込めず、仕事はきっちりやっていたけど寂しい毎日を過ごしていた。教会と芝生ということ以外は、規模もデザインも似たところはないけれど、この場所に来るとあの孤独が懐かしい。今の自分としてあの時に戻れたら、もう少し社交的にふるまえたかもしれない。でも、あの時の、気が合う人がいなければ一人でも平気だった自分もとても愛おしい。
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スピリチュアルの世界で言われている魂の年齢というものが本当にあったとすれば、多分私は家族で最年少なのではないか、と時々思うことがある。
いつまでも大人になれない感じ、苦労が身につかない感じなのは多分魂の年齢が若くて経験値がとっても低いのではないか、もしかしたらうちの娘たちより私の方が魂年齢が若いのでは?(笑)と思うこともしばしば。特に最近、よく娘たちに人生のアドバイスをもらったりするのには、娘たち頼もしいなあとは思うけど、自分はどうなんだ?とも思う。
その幼さ、未熟さの故なのか、最近”天敵”ことJ講師が急に思いやりある言葉を投げかけてくれるようになった時、一瞬でも、
(あれ?やっと私の誠意が通じたのかな?)などと不覚にも思ってしまった自分が可笑しい。先日、提出期限をかなり遅れて出した課題メールへの返事に、
J『あなたの努力が必ず報われる時が来るわ。』と書かれていたのを見て、こんな優しい言葉をかけてくるなんて、ついに私が一生懸命やってもこのタイミングでしか課題を出せないということが理解できたのか、とほとんど涙が浮かびかけていたし、質問しても今までよりも丁寧にプロセスを指導してくれるので、なんだかようやく理解しあえたのかとほっとしかけていたが、一つ大事なことを忘れていた。
最後のモジュール4つについては、担当講師に対するフィードバックのアンケートを生徒が書いて学校に提出することが義務づけられた。なぜそうなったのかは不明だが、これによって、今まで厳しかった先生が豹変した。私の努力と誠意のたまものなんかじゃなかったのね。(笑)カナダの人は本当にわかりやすい。ちなみにフィードバック用紙には、その先生のクラスの良かったところと、改善すべき点を書けるようになっている。彼女に対して負けるものかと思うことで自分を奮い立たせてきたが、何とも腰の抜けるエンディングになりそうだ。(笑)
もう一つ、このブログには書いていなかったが、実は午前中のクラスについてもドラマがあった。元々私たちが抗議して、校長が2度と彼と会うことはないだろうと確約してくれた恐怖の3時間大音量音読先生がまた6か月後に復活し、私たちの教壇に立っていた。
音読氏が再登場した初日の、あの絶望的な思いは今でも忘れられない。もはや学校を信じてはいなかったけれど、まさかここまでとは…彼は勝ち誇ったようにクラス全員、一人一人と握手した。どうだ、結局戻ってきたぞ。今度はあまりてこずらせるなよとばかりに…
カンボジア人のクラスメート、Sが、
S「PEQ、またあいつが戻ってきちゃったじゃないか、また学校に抗議しようよ。」(…って、彼は何にも手は下したことはないんだけどね…いつも私やDに何とかしろって言ってくるのはなぜなの?…苦笑)
私「いや、私もう無理だと思う。この人が戻ってきたってことは、学校が私たちのことを何も真剣に考えていない証拠でしょ。あれだけ約束したっていうのに、あの校長先生がもうすぐ引退だから、力がなくなっちゃったんだよ…もう何をやっても無駄だし、私はもうあきらめるよ。私はもうこの学校に何も期待していないから…もし、抗議したかったら、あなた自分でして。」
私は、これ以上戦うのは時間の無駄と思い、完全にさじを投げた。元々戦うのは本来苦手なのだ。その後、娘の用事で2日ほど休まなければならなくなり、私は音読氏の顔を2日見た後、5連休のお休みに入った。ところが…お休みが明け、また大音量に悩まされるのかと暗澹たる思いで登校したら、なんと、温和で経験豊富で頼りがいがありそうな感じの、東ヨーロッパ風のアクセントのある先生に代わっていた。きつねにつままれたのか(笑)???
忘れていた…うちのクラスには、決してあきらめない、まっすぐな男、Dがいたことを。
私が、大人の選択でもう戦わないことを選んだのに彼は、音読氏再来初日の昼休みに速攻、校長先生に直接電話で抗議したようだ。ラテン系にしてはエライ寡黙な男なのに、戦うときは全力でラテンの血を沸騰させるのかもしれない。(笑)
彼が何を言ったのか知らないが、音読氏は、私の人生から永久に姿を消す運命になったらしい(笑)またまた、Dのお手柄である。D、私は君のことを決して忘れないと思うよ。人生は、あきらめた人の負けだよね。私の年齢の半分も行っていない君に、また教えられたね。
音読氏の代わりに来たD講師は、おとなしそうで優しそうで、ITの講師にしてはちょっと年配なので、知識がアップデートされているか若干心配していたのだが(音読氏が完全にこのパターンだったから、この先入観を許してほしい)結果的には、今までの講師全員の中でダントツNO.1のものすごいできる先生だと、クラスを受けて5分後には実感した。私のクラスは11人と少人数なのに、クラスのIT知識、経験レベルがバラバラで、私のような完全アマチュア半分と、ほぼプロみたいな人、完全なプロが混ざっている。それなのにこの先生は、クラスを終始対話形式で行い、常に私たちが何を知っていて何を知らないかを確認しながら、誰も飽きさせることなくクラスを進めていくことができた。しかも、自分の担当科目についてゆるぎない知識を持っているようだ。この人は教師のプロだ。こういう人もこの学校にいたのね(笑)
D講師の下で、毎日意義あるクラスを受けて、納得して授業にいそしんでいた私…それなのに…たった1週間後、D講師の担当日が半減された。週に半分は、彼と同じ国出身の、若い講師がペアティーチングすることになった。若いP講師は、いい人の見本みたいなかわいい感じの40台前半の男性なのだが、教えた経験がまるでないようだ。生徒が付いていけてるかの確認もなく、独り言の様にクラスが進んでいってしまった。知識は豊富の様だが、何を教えないか、の取捨選択に慣れていないようだ。だから全部を饒舌に説明しようとして、時間も足りなくなるし、私たちも早すぎて理解できない。でも、この先生は、基本的に心が綺麗で、教えたいという情熱を感じられる。
ところが、またまたびっくりな展開に…なんと、ベテランのD講師が完全に来なくなり、代わって若いP講師が結局週5日午前中の担当となった…私の至福の時間は2週間で終わった。
S(リビア君)「Pのクラス、退屈で死にそうだよね。」
私「でも、あの人は本当にいい人だよ。」
S(カンボジア君)「でも、何言ってるか早すぎてわからないよ。」
私「でも、本当にいい人だし、彼は教え方がわかればきっといい先生になるよね」
S(リビア君)いい人いい人って、そんなに好きなら彼と結婚しろよ、ははは。」
クラスのみんなが退屈すぎてそれぞれPCで自分の好きなことを始めてしまい、誰もクラスについていっていない。
すると、唯一彼の講義に相槌を打つ私に、彼の眼が集中してきて、結局文末の度に彼が私の方を見ることになってしまった。結構疲れる(笑)
でも、彼はいい人なので(まだ言うか、ははは)思い切って彼に意見を伝えることにした。講義をどう思うかと聞いてきたので、メールで返事した。
私(メール)「今の方法だと、講義を聞くだけの時間が1時間以上あるでしょう?20分くらい経つと私は集中が切れてしまって、理解がしにくくなります。そういえば、サーバーのクラスの先生は、先にセオリーを延々と話す代わりに、まずは生徒に実際に設定の仕方を説明しながら一緒にやらせて、その途中で重要なポイントに絞ってレクチャーしていたの。その後、同じ設定プロセスを今度は各自でやらせていたの。だから最初先生についてやる時は時間がかかるけど、2回目をするときには、みんなやり方がわかっていました。まるで同じやり方ができるかどうかはわからないけど、参考になるかしら?」
すると、
P講師「明日からぜひやってみるよ」
そして、本当に翌日から、彼は実践型の形式に変えてくれ、みんなは遊ぶ時間が無くなった代わりに、本当にデータベースの運用の仕方を身に着け始めた。うん、この方が絶対いい。やっぱりいい人って、心が素直なのよね(笑)
P講師が生徒に対してとても協力的だということもみなよくわかってきたので、
S(リビア君)「PEQ、彼がいい人だっていうのは本当によくわかったよ。安心して彼と結婚しろよ、ははは!」
私「いや、よく考えたら、独身じゃなかったわ、彼も私も。ははは!残念だわ!」
生徒の要望を聞いてくれるいい学校だというのが率直な感想です。
ここだけ聞くとそうなるかもしれないけど、実はもっと色々あるんですよ。ただ、一月末で退職されたコンピュータ学校の校長は、コワモテだったけど約束を守るいい人だったんだと思います。1人でもまともな人がいてくれてほっとしました。後、事務方にもまともな人が多少います(笑)