写真は、先日行った郊外のリサイクルショップ。
ここは、色々な掘り出し物があって、ゆっくり楽しめる。特に家具が充実している。
うちは当分家具を買う必要はないと思うけど、いざとなったらまたここにも見に来るな。
昔の家具はいい木を使っていて、素材そのものが綺麗だ。
まあ、今日のお宝はこれだけどw
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マレーシアで、日英通訳をしていた話は前にも書いたと思うけど、まだ駆け出しの頃、悪夢のような恐ろしい目にあったことがある。
通訳には、逐次、ウィスパリング、同時という主に3種類の通訳の手法があるんだけど、私はその頃は逐次専門だった。逐次は、聞いて、訳す、つまり聞き終わってから訳す方法。一方で、ウィスパリングや同時は、まさに聞きながら話す。話の進行を妨げずに通訳を入れる。例えば、大きなイベントや会議で、少人数の日本人の方にだけ、今何を言っているのか耳元で解説するのがウィスパリングだ。同時は、ブースの中で、マイクに向かって会議の進行と同時に通訳する。だから、ウィスパリングや同時の場合は、話者が話を止めて訳を待つ必要がないため、時間を節約できる。逐次の方が簡単とは一概に言えないのだけれど、ウィスパリングや同時は、また別のスキル(聞きながら話すという超人的スキルだw)がいるので、別のトレーニングが必要になる。私はそういうトレーニングを受けていなかったので、エージェントには、逐次しか受けないという形での登録をしていた。しかし、ある日、エージェントは恐らくろくに私のファイルを見ずに、ある仕事に対し、私を派遣した。その仕事はある業界の労働組合の世界大会みたいなものだったが、実は逐次でなくウィスパリングの仕事だった。会議が始まって、急にスピーチが始まった時に、びっくりした。スピーカーが話しっぱなしで、一向に一時中止して訳を待つような態度ではない。
(ぎょぎょっ!これ、ウィスパリングじゃん!)わたしは青ざめた。
お客様に即、
PEQ「お客様、こちらのお仕事は、ウィスパリングのようですが、私はウィスパリングはしません。エージェントにもそういう条件で仕事を依頼するようにと伝えているんですが…」
お客さん「え?そうなんですか?いや困ったなあ…でも今他に誰もいないんだから、完璧じゃなくてもいいから何とかできるところだけやってもらえないかな?」
…といわれても。
もちろん、目の前で会議の意味が分からず本当に困っているお客さんがいるのだから、何とか問題を解決してあげたい気持ちはやまやまでも、私にはその技術がなく、一言も訳せなかった。なにせ、労働組合の内々の会議というのは、大概部外者にはわからない省略語が頻出するので、ただその会議の話を英語で聞いても、わからないことはあり、逐次の場合だと、会議のスタート時には、そういった省略語は確認しながら進めていくことが可能だ。
まずは慌ててエージェントに連絡を取り、状況を説明してウィスパリングのできる人を至急送ってもらうよう、頼んだ。
不幸中の幸いで、ちょうど私のお客さんグループ3人の目の前に、他の日本人グループがいて、その中の一人が英語が堪能な人で、彼は自分の仲間に進行状況を解説していたので、とりあえずその方に少し大きめな声で話してもらって、お客さんたちもその人の解説をこぼれ聞くことができた。なので、ものすごい事故の中、少なくてもお客さんが一言もわけがわからず放っておかれずには済んだが、もちろん、お客さんにとっては自分たちが雇った通訳に、よく聞こえる状態で細かな話を聞きたいはずだった。
無力感を感じながら、いたたまれないながらも、次の通訳が来てバトンタッチするまでは何もできなくてもその場に残っていた。
代わりの通訳が来て、お客さんにはエージェントの代わりに再度平謝りをしつつ、その通訳の方に「よろしくお願いします。」と頭を下げると、その方はきっとよっぽど不本意な状態でここに呼ばれたのだろう、ほぼ私を無視して憮然としたまま通訳の仕事に入ってウィスパリングを始めた。
会議の場をようやく離れてほっとした。が、自分の責任範囲外とはいえ、私がもう少し力のある通訳だったら、多分何とか無理して対応することもできたはずだと思った。体から力が出なくて、会場のホテルから歩いて出ていくのも難しいようなフラフラした状態になってしまった。最悪の状態で、人気のないロビーの片隅で、ある人に電話をかけ、何が起こったかを話した。
全部の話を聞いた後で、その人は、いつものせっかちな話し方じゃなくて、かみしめるようにゆっくりこういった。
「PEQちゃん、君は、すごくいい通訳者なんだよ。君に必要なのは、経験だけなんだよ。」
その言葉を聞いたとき、心の中にさっきできてしまった、動かすことのできないでっかい硬い岩のような塊が、音を立てて粉砕した。
わたしは、やっと自分の状況を受け入れることができた。
(私に必要なのは、経験…)
あの時の無力感を引きずっていたら、多分私は通訳の仕事に行くことがただ怖くなり、多分仕事を辞めてしまったことだろう。または、頑なにエージェントの無責任を責めて、自分の能力以下の仕事に限定して仕事を選んでいたかもしれない。(そのエージェントからはその後、ほとんど仕事引き受けなくなったのは事実だけどw)
その人のひとことがあったおかげで、私は力を取り戻し、その後もこの仕事を続けた。
数年後、その時通訳/翻訳者として勤めていた会社の会議で急にウィスパリングが必要になった時、気が付いたらウィスパリングを自然に始めていた。
落ち込んだ時に、その人が本当に必要としているひとことをいえるって、すごいことだね。
それは、その人の今までの来し方、生き様、相手の性格をよく知っていること、そして大きな愛情、そういうことすべてを必要としているんじゃないかな。